ヨルノサンポ団の日記

演劇集団のゆるい日記!twitter(@yorunosanpo0315)も!

村田沙耶香『地球星人』 ネタバレなし・ネタバレありレビュー(平井)

ヨルノサンポ団の団員、平井です。

 先日、当団でも役者として活躍してくれた川村が読んで面白かったとのことで、村田沙耶香さんの『地球星人』を読みました。

 

地球星人(新潮文庫)

 

 村田沙耶香さんの本は『コンビニ人間』を少し読んだくらいで、まだまだ作家さん自身の個性を理解するには程遠いです…。が、『地球星人』と合わせて二冊、読ませてもらった印象としては、「世の中に馴染めない人はどう生きているのか」ということをストイックに追い続けている作家さんなのではないかと思います。

 他の方のレビューを読ませていただくと、「女性の生き辛さ」をテーマにしているという評者の方もいらっしゃいます。ただ個人的には、性差だけでなく世の中の常識そのものに対してどこか批判的な、「なぜ世の中のルールはそうなっているの?」という根本的な疑問が作家さん自身にあり、そういった疑問を持つ人が世の中で生きていくとどんな目にあうかを淡々と描いている、という印象です。

 

 ここからようやく『地球星人』についてのお話になりますが、一言でいえば、読んでてワクワクしました。『コンビニ人間』も若干そうですが、物語の前半で主人公の生い立ちが詳細に語られているので、「主人公の隠れた過去を追い求める」みたいな探偵小説的な展開にはならず、基本的に「現在」に沿って話が進んでいくので、常に新しい情報が出てきて次の展開があまり読めない。ハッピーエンドに導くも悲劇に導くも、作者の気まぐれでどうにでもなる状態が長いこと続くので、それこそ探偵小説は前のページを手繰れば犯人がわかることも多いでしょうが、この小説の場合次のページに進む以外選択肢はなく、読む手が止まらず猛スピードで読んでしまいました。

 主人公の奈月は、母親ぞんざいな扱いを受けたことか塾の先生から受けた強烈な性体験か、あるいは周りの環境全てが原因なのか、あるいは真実なのかもしれないけれど、自分のことをポハピピンポボピア星から来た魔法少女だと考えています。星の名前は「ちちんぷいぷい」「アブラカタブラ」「テクマクマヤコン」みたいないかにも呪文めいた、胡散臭さを感じさせるもので、やっぱり主人公の妄想なのかな・・・という気もしますが、主人公の奇行は個人的には奇行と言えるほど支離滅裂でもないし、主人公の経験を考えれば、「共感できる」とは言わないまでも主人公に寄り添って読み進めていくことはできます(少なくとも前半部分は。ここ大事!!)。奈月は自分でも知らない間に自分が魔法少女だと「気付いて」しまったのかもしれない。そのことが読んでて悲しかったですね…。ここから逃げ出したい、と考える奈月の気持ちも少しは分かる気もします。

 グロテスクな描写などは悲しいことに結構慣れてしまっているので、そのあたりで読み辛さを感じることが無かったのが幸いですね~。むしろ、そういった描写のキツさを除けば主人公を取り巻く登場人物が奈月を追い込むような残酷な形に配置されていて、ここから逃げ出すのか、あるいは全てを受け入れて「工場」の一員となるか、その二者択一を迫らせるあたり、様式的で読みやすささえ感じました。

 ただ、やっぱりこれでは飽き足らなかったのか、8割くらい読んだ後で大きなどんでん返しが待っています。この小説を読んで良かったと思ったのは、クライマックスの展開が大きいですね。それについては、以下で述べたいと思います。「こういうの他にも読んだことあるなあ」と思って途中で投げ出した方も、ぜひ最後まで読んでみてください!

(以下、小説のクライマックスについて触れています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主人公の奈月と、その夫の智臣、奈月の幼なじみで主人公と同じく辛い幼少期を過ごした由宇の三人は、秋級の地で奈月たちの「離婚式」を行います。指輪を並べ、一人ひとりが自分の好きなように生きていく、ことをここで高らかに宣言します。この儀式の後、小説の毛色が一気に変わります。

 奈月ら三人はアリストテレスの言うところの「ポリス的動物」である人間を捨て、野生動物のような共同生活を送ることになります。服は捨て、盗みを働き、人を殺し、とうとう人肉食まで…というところまではギリギリいかなかったのは、奈月、もとい作者の良心が働いたのだと思っています。

 地球星人の実態を描いているのかもしれませんが、『蝿の王』や、残虐事件の詳細を事細かに書いたウィキペディアの記事、その他ネットにひっそり置かれているスプラッター小説にあるような、いわゆる「自然状態に置かれた人間の恐ろしさ」を思わせるものでした。いわゆるリアリズムに沿った作品でこういう展開を見ることになるというのは、驚きでしたね・・・

 興味深かったのは、由宇くんの変わり身の早さですね。奈月と智臣を「人間」サイドにとどめる最後の砦であった由宇くんが陥落して人間であることをやめるまで、小説にしておよそ数ページ、時間にして一日経たないくらい。人間というのはほんの一ひねりで人間であることをやめるんだなあ、と人間という生き物の恐ろしさを感じたし、それを描く村田さんという人の怖さを垣間見た気がしました。

 前半部分では読み手にある程度歩調を合わせてくれていた印象でしたが、クライマックス近くになって、突然読者を振り捨てる勢いでドワーッとラストまで駆けていってしまう感じ、個人的には新鮮で面白かったし、「やっぱりただものではなかった・・・」「この作品を読んでよかった」と思いました笑。かなり読み手を選ぶと思うので、ファンは減ったかも知れませんが・・・

 普通の人なら多分「多少変なところがあっても何だかんだ生きていけるよね」みたいな丸い感じで終わらせるか、結局社会のルールに従っていく主人公たちを見送る形で終えるのかもしれませんが、そのあたりで妥協しなかったのがこの作品の凄いところだと思います。ヒッピーも青ざめるような奔放生活を送って人間ですらなくなり、第三人者に見つかった際には嘔吐さえされる。それでも作者はこれが良いとも悪いとも言わない、その毅然とした態度に救われる人もいるのではないでしょうか。

 個人的に気になった点としては、この小説が、むしろあまりに「読みやすすぎるかなあ」と思ったことですね・・・。文体そのものや、展開の仕方は整備されているのですが、こういったクライマックスが待っているのなら、もう少し作品自体が読みにくくい方がすんなり入っていけたかもしれません。

 やっぱり整備されたオンロードよりも泥まみれのオフロードの方が、スリリングな期待に満ちている感じがする。それだけのことかもしれませんが・・・。レーモン・ルーセルという人の作品に『アフリカの印象』という小説があり、とりあえずとんでもないことが起きているらしいということは分かるものの、描写に何かしら意図的な技巧が凝らされているのか、あるいはアフリカで見たものがそれほど名状しがたいものだったのか、「うわぁなんだこれ」という印象だけが残る感じ、そういうものをどこか私自身が求めてしまっていたのかもしれません。

 とはいえ、少なくともこの作品を世に出したことで、村田さんは恐らく「ただものではない」作品を期待されるようになったと思うし、今後どのような形でそれに応えていくのか、次の作品がとても楽しみになりました。あとは、「ちょっと変わった人」が世の中で頑張って生きていくのをただただ淡々と描く、そんな村田さんの作品もあるのではないかと思うので(それが『コンビニ人間』なのかもしれませんが)、そういう作品を探してみたいな、とも思いました。

 この作品についてラジオで言及してくれた川村(ひいてはその川村に『地球星人』を紹介した藤代)に感謝しています。そして、ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした。ありがとうございます。