ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)について(平井)
ヨルノサンポ団の平井です。
昨日、2022年9月13日、映画監督のジャン=リュック・ゴダールがスイスで亡くなったというニュースが届いた。91歳と大往生であるが、自殺幇助による死だったという。ゴダールがスイスに暮らしているのは知っていたが、自殺幇助がスイスで認められているというのは初めて知った。
映画好きな知り合いからは勿論、私が映画サークルに入っていたのを知ってか色んな方からゴダールが亡くなったというメッセージを受けた。
ゴダールが亡くなった事に関しては、「とうとう亡くなってしまったか…」という気持ちがある一方で、まさかという驚きがある。ゴダールが最後に作品を創ったのは2018年とほんの数年前であり、彼のペースから考えればそろそろまた新作が出るのかな、という頃に訃報が届いたためだ。
ゴダールは多作だ。それだけでなく前期・中期・後期で作風が大きく変わり、あらゆる映画監督でそうした時期による区分けが最も重要になる人物だろう。「前期ゴダールが好き」「後期ゴダールが好き」といった話で盛り上がれるというのは、彼が映画史において最重要人物の一人であることを示している。
とはいえ、ゴダールの訃報をこれほど日本のメディアが積極的に取り上げたのは正直意外だった。映画好きならいくつか作品は観たことはあるだろうが、でなければ中々観る機会の少ない監督だからだ。恐らく来年末くらいまでは、全国でレトロスペクティブのゴダール映画祭があちこちで行われるのだろう。
これをきっかけにゴダールを知る人、初めて作品を観る人も多いかもしれない。「映画史上最も重要な人物の一人」といった評判で観ると、がっかりされることもあるかもしれないので、ここからはゴダール作品をこれから初めて観る人に勧めるつもりで述べる。
まず「ゴダール作品は難しい」とよく言われる。確かに不自然な言葉遣いが多いし、引用も多いため理解に苦しむことも多い。その点については同意するが、とりあえず理解することは一度放棄して、映画にツッコミでも入れるつもりで肩肘張らずに楽しんで欲しいというのが正直な思いだ。
ゴダールが評価されているのは、誰がどう見てもゴダールの作品だと分かるような個性をほぼ全作品で確立しているためだ。これは断言できるが、ゴダールは古今東西あらゆる映画監督のうちで最も個性的と言ってよく、恐らく異論も少ないだろう。だから難しいというより、ユニークな映画と言った方が正しいと思う。
ゴダールは一度カンヌ国際映画祭を文字通り「粉砕」した経歴を持つし、様々な作品でハリウッドを攻撃してきた。何らかの基準でもって映画を評価するという風習に対しては常に反対の姿勢を見せていた(最も受賞歴の多い監督の一人ではあるのだが)し、一筋縄でいかないのは当然だ。
もちろん好き嫌いのはっきり分かれる監督であるため、ゴダールを嫌う人はとことん嫌う。映画批評家の淀川長治は「ゴダールほど嫌いな人はいない」と言っていたそうだが、一方でゴダールの映画文法にハマった人は、これこそが映画だと過激派ファンのようになることも多い。
誰もが皆ゴダールを褒め称える世の中というのはかえって不健全な気もするので、好き嫌いがはっきりしているくらいが丁度良いだろう。いくつかゴダールの作品を観てみて、好きなら好き、嫌いなら嫌いで、無理にゴダールの作品を好きにならなくてもいいと思う。
最後に、ゴダールに興味を持った人にお勧めの作品を挙げる。左翼思想の強い中期の作品群は避けて、前期と後期から選ぶ。出来れば前期の作品から観た方が良いと個人的には思うが、その点はお任せする。自分自身まだまだ未見の作品も多いため、そうした作品群を外しているのはご了承願いたい。
前期
『勝手にしやがれ』(1959)
『女は女である』(1961)
『はなればなれに』(1964)
『アルファヴィル』(1965)
『ウィークエンド』(1967)
後期
『ゴダールのマリア』(1985)
『右側に気をつけろ』(1987)
『ゴダールの映画史』(1998)
『アワーミュージック』(2004)
改めて、ジャン=リュック・ゴダール氏のご冥福をお祈りします。