ヨルノサンポ団の日記

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平田オリザ先生のツイートを受けて(るーにー)

さて、今日は平田オリザ先生の以下のツイートについて個人的考察を記していこうと思う。

 

これは、いい悪いではなく単純な疑問なのだけど、なぜ政府は音楽や演劇は主催者側に自粛を要請し、「接待を伴う飲食の営業」に関しては、行く人の方に自粛を要請するのだろう。ちょっとゆっくり考えている暇がないのだけど、授業のディスカッションのネタになりそうなのでメモだけしておく。

 

この話を聞いた時に浮かぶ理由は以下の4つである。

 

・今回の経過の時間軸

・人数のイメージ

・箱か中身か

・優先度

 

まず、私は経過の時間軸が問題であると思われる。政府からイベントの自粛の要請が発表されたのは2月20日であり、まだ新型コロナが猛威を振るう前であり、当然都市封鎖など考える前のことであったと記憶している。これは、大阪のライブハウスでのクラスター発生を受けてのことである。その後、ご存知の通り感染が拡大し、外出自粛の流れとなっているので、後から振り返ると奇妙な状況となっているが、わざわざライブハウスは開催していいが、国民は出るなと発言する方がより奇妙であるためこのような状況となっている。

 

ここからは、一般的に出てくるであろうと思われる意見についてである。

 

まず、社会的な演劇のイメージと食事のイメージの問題はあるであろう。基本的に演劇と聞くと一般的な人は大劇場でのものを想像すると思われる。いわゆる中学生や高校生が行う演劇を想像すると思われる。一方食事は、数人でレストランに入るものを想像する。そのため、人数のイメージの差に明らかな解離が生まれている。当然、演劇にも少人数のものは存在するが、今回のコロナでの状況を見ていると、演劇というイメージに対して部分的に許容するという発想を持つのは難しいと思われる。

 

次に、箱を提供するものと中身を提供するものの違いも挙げられる。箱を提供するのは、劇場と飲食店、中身を提供するのは劇団と食事の主催者である。中身を提供するものに自粛を呼びかけるとするのであれば、劇団と一般人に自粛を要請するのが妥当な流れであると考えられる。

 

最後に、優先度の問題という意見も考えられる。つまり、食事は生命維持に不可欠なもので、芸術はあくまで娯楽であるという考え方である。おそらくこの考え方が大多数を占めるであろうと思うが、私はこれについて間違いであると思う。確かに、芸術というのは古い時代においては富裕層の出資により成立していた節があり、食事と比べて、国の緊急時、例えば戦時中、において発展が停滞する部分はある。しかし、今回の食事とは外食を意味し、外食産業自体は基本的に近代的なものである。そして、外食自体娯楽の側面を強く持つため、決して外食と芸術の優先度に大きな違いはない。

 

時間軸の問題であるというのが最も妥当性が高いと思われる。

一方でこういうdiscussionはもの言わぬ鏡である。つまり、「政府は芸術を軽視しているのだ」ということを言っている人はもう少し芸術を愛して欲しい。