ヨルノサンポ団の日記

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ふと昔のことを思い出した(るーにー)

仕事の関係で、妊婦さんの検診に立ち会うことになった。超音波で新生児の確認をすることになった。

 

超音波で新生児を見ると、人類の神秘を感じるのはいつものことなのだが、小さい子供を見ると昔のことを思い出す。筆者の出身大学では1年生は1週間の病院実習というものがある。実習といっても1年生なんかズブの素人なので、ただぼんやり眺めるだけである。ただ、強烈な思い出がある。

 

夜の23時ごろに携帯電話がなった。もう寝ようとベットに入っていたところであったので、服を着替えながら電話を取った。「今から近くの病院に向かう」、という話を聞き、状況は良く分からなかったが救急車に乗って近くの病院での帝王切開に向かうことになった。

助手席に座りながら救急車で次々と車を追い抜く爽快感を味わいながら、なんとも言えない高揚感があった。

まだ生まれるには週数が足りていない、30週くらいだったであろうか、子供が緊急帝王切開で他の病院で生まれる。ただし、子供の管理は実習で行っていた病院で行うことになったため、迎えに行くとのことであった。

 

もう何年も前のことであるため、朧げにしか覚えていない。初めて手術室に入り、初めて帝王切開というものを見たのだが、知識がない状態で見たので、あまり鮮明に思い出すことができないのだ。ただ、気がついたら子供が出てきていた。途轍もない早さだなと思った気がする。子供のことは覚えていない、どんな顔だったか、泣いていたかなど。

 

ただ、「サーファクタント」と呼ばれる物質の投与によって、こういった子供が救われるようになったという話を熱く語るおじさん医師のことを強く強く覚えている。

 

人の肺は膨らむために内側の表面張力を減少させるサーファクタントという物質を分泌している。そして、これは34週以降に分泌されるようになる。逆に、これより前に生まれると肺を膨らませることができず、呼吸不全で亡くなることが多かった。しかし、この物質が人工的に投与できるようになり、多くの新生児が救われるようになったのだ。

 

勿論、強烈な知識であるから覚えているというのが一番であろうが、それと同時に熱く語るおじさん先生の姿が忘れられないような気がした。

 

あの時の子供は今元気にランドセルを背負っているのだろうか。あの時のおじさん先生は今も熱い姿で子供を救っているのだろうか。昔の自分が今の自分を見たらどう見えるのだろうか。

 

そんなことを考えていたら、超音波で見ていた新生児が手を振っているように見えた。